物を持ち上げて離せば、下に落ちます。これを事実ではないと言うことはできません。この意味で重力が事実だということは、否定することができません。
ただしこれは、科学的な観測事実ではあっても、まだ科学(の理論)ではありません。
どう落ちるのかを観察する必要があります。例えば、高いところからと低いところからでは落ち方が違うのか同じなのか。一定の速度で落ちるのか加速度的に落ちるのか。重いものは軽いものより早く落ちるのか同じなのか。大気中でも真空中でも同じように落ちるのか違うのか。どの場所でも同じように落ちるのか違うのか。・・・。
これらも科学的な観測事実であり、これを事実でないと否定することはできません。
次に、それがどのような原理によってそのように落ちるのか、その原理を説明し、理解する必要があります。これが、上記の観測事実とは違った、科学の理論になります。理論が立てられた後は、その理論の予言通りに現象がおきているかが、観察や実験によって検証されます。そして、理論と合わない観測事実があれば、その仮説は反証されたことになります。
ニュートンはこの現象を、「逆二乗の法則に従う万有引力という遠隔作用」によって説明しました。そしてこの仮説は、その後の検証に堪え、大きな成功を収めました。
しかし、この仮説によってはどうしても説明できない現象がありました。理論と合わない現象が、科学的な観測事実としてあったわけです。この限りで、ニュートンの理論は観測事実に反します。(反証されたわけです。)
アインシュタインは、まったく違った発想の仮説を立てました。「万有引力という遠隔作用」ではなく、「時空の歪み」というものです。これは、世界の科学的説明として、ニュトンのものとは全く別の仮説であり、世界についての違った説明です。
つまり、落ちるという観測事実の説明には、たった一つの説明ではなく、ある程度うまくいくいくつかの違った仮説がありえること、そして、そのどれか一つの理論が正しいように思えても、いつかは観測事実と反することがありうる、ということです。
ニュートンの理論がいかに成功を収めても、世界には「逆二乗の遠隔作用」が実在する、とは言えないわけです。この事情は、「時空の歪み」も、「グラビトン」も、「超ひもの振動」も同じです。
それらは世界を説明し理解するための仮説、理論的なモデルであって、そのモデルを通して世界を理解すると(いまのところ、この範囲では)うまくいっている、というものです。その理論の通りの遠隔作用や歪みが実在するとまでは言えないものです。
科学理論が世界の真の実在を表現したものかどうかは、究極的には分かりません。そのような「実在」というのは(哲学的・形而上学的な概念ではあっても)科学的な概念ではありません。そのとおりのものが事実として実在する、と言ってしまえば、科学的に言うことのできる範囲を超えた、信念、思弁、哲学・・・になってしまい、もはや科学ではないと、私は考えています。