科学が誕生したのはほぼ17世紀だと言って、それほど間違いではないと思います。確かに、古代ギリシアやアラビア、中国などに科学が全くなかったと言ってしまえば、少し言い過ぎかもしれませんが、それらは、世界を理解しようとする基本的な姿勢が、現代の科学とは質の少し違うものでした。そこでは、実験的な方法によって自然を検証しようとする態度が明確には見られず、実証性や数学的な法則の普遍性についての認識も充分ではありませんでした。
人類ははるか昔から宇宙の構造、天変地異、物質の運動や変化、植物や動物の有様や利用法等について、多くの知識を蓄積してきました。それらが体系化された代表的なものが、アリストテレスを代表とする古代ギリシアの自然哲学だと思います。古代ギリシアの自然観の体系は、現在の自然科学に向けてのひとつの源流になりました。しかしながら、人間の目の前にある実際の自然現象は、きわめて複雑で雑多で混沌としたものです。それをそのままの状態で観察しても、明確な原理を見つけることは相当に困難であり、表層的な現象観察から、誤った思い込みに陥りがちになってしまう恐れがあります。そのような日常の経験だけに基づいていては、必ずしも明確な法則が発見できるとは限りません。厳密な記述方法や実験的な検証方法を欠いた世界の解釈は、必ずしも正しい理解に達することができませんでした。
例えば、世界は月を境界として、それより上を「天上界」、それから下を「地上界」とする、完全に二元的な見方がとられていました。この二つの領域では、それを構成する要素が別であり、運動もまったく違った原理に従うものと考えられていました。天上界では星が等速で(数学的に完全で理想的な)円運動という「自然運動」をしていると信じられ、地上界の不自然な「強制運動」や直線運動とは完全に区別されていました。アリストテレスによれば、人間によって投げられた石は、運動を強制する力を絶えず加えなければ止まってしまうが、石が空気中を進むと後ろに真空ができ、自然は真空を嫌うので石の後ろに空気が回りこみ、その空気が石を後ろから押す力を加えるので、しばらく飛び続けるのでした。地上界では万物は火、水、土、空気の4元素と温、寒、乾、湿の基本的な4性質の組み合わせによるとされ、各元素にはそれが本来占めるべき本来の場所があり、石が下に落ちるのは、それが土の元素を多く含むので土の本来の場所である地球の中心に向かおうとするからでした。また、地上の落下運動では、重い物体が軽い物体より早い速度で落下するとされていました。炎や煙が上に上がるのは、それがあるべき位置に戻ろうとするからでした。
アリストテレスの自然哲学に代表される、古典的な世界解釈に高い価値を置き、既に完成されている体系をそのまま継承して、それに基づいて自然を解釈するという態度が、西洋世界で長い間続いていました。そこでは、仮に過去の文献と食い違うことが観測されても、文献のほうを正しいとし、あるいは、古代哲学の理論と合うような解釈を工夫する、というような形で問題が解決されることも多かったようです。過去の文献の知識、権威を疑い、実験的な方法によって新しい発見しようという姿勢は、長い間、一般的には見られませんでした。権威に反するそのような態度は、場合によっては異端の思想として、社会から排除されてきました。このように、かつての自然哲学は、科学と似たものように見えても、まったく違った姿勢や原理に基づくものでした。
16世紀後半から17世紀初頭にかけて、実験と数学という方法による、新しい世界理解の態度が芽生えました。世界(自然)を解明する方法や、それを受け容れる人間の基本的な姿勢に、大きな変化が起きてきました。 世界の基本的な事実を発見し、原理や法則を取り出すには、現象に積極的に介入し、様々な実験を行ってみることが必要である、そうすることによって隠された原理を見つけ出すことができる、と考えられるようになってきました。また、自然の解明に数学が用いられ、数学による理論の構築が本格的になされるようになりました。距離、時間、速度などの関係を定量的に測定し、その間の数量的な関係を法則として抽出しようという姿勢が明確に現れてきました。世界理解の道具として、数学を自然現象と有機的に結びつけ、数学的な論理の展開によって世界の法則性を理解しようとする、明確な発想が生まれてきました。それまでは普通のものではなかった、世界に対するこのような積極的な姿勢が一般にとられることによって、科学が爆発的な進展を見せ、その有効性が次第に明らかになってきました。
ティコ・ブラーエは、望遠鏡が発明される以前の16世紀後半に、精度の高い天体観測のデータを残しました。ケプラーは、精密な観測結果を基にして、惑星の運動が等速な円軌道ではないことを発見して数学的な法則を導き、これが、正当な力学、運動理論が生まれる土壌を作り出しました。ガリレオは実験により、物体の落下距離は落下時間の2乗に比例し、その物体の重さには関係ないことを示しました。デカルトが慣性の法則を明確に定式化しました。空気はむしろ石の慣性運動に抵抗するのであり、それがあるから、重い物体が軽いものよりも早く落下するように見えるのでした。これらの経過を受け、ニュートンの運動理論が、天上界と地上界の運動を、同じ方程式で説明しました。このような系譜を通した系統的な知識の蓄積によって、断片的な知識の寄せ集めではない、演繹性、普遍性、汎用性の高い、科学の数理的な運動理論の体系が出来上がってきました。日常的に観測される現象をそのままの形でまるごと解釈するのではなく、精密な実験的方法で詳しく確認し、それを数学的に表現して、それがうまくいくかどうかを実験的に検証する、というような態度が世界(自然)に対してとられたことにより、大きな成功が収められたのでした。
現代科学の基本的な要件は、ひとつには法則の普遍性の高さにあります。様々な知識を集積するだけではなく、宇宙全体に普遍的に成り立つ法則を導き出そうとします。自然を目的論的に解釈するのではなく、現象を原理に基づき因果的に説明しようとし、数学的なな関係を見出そうとします。そして、それらは実験的な検証にかけられ、反証されれば修正されるか捨てられます。ひとつの世界解釈にいつまでも留まることなく、それとは違う新しい発見が歓迎され、科学の世界観が進展してきました。それは既に、16世紀以前の自然理解の方法や、世界に対する態度とは、明確に別のものになっています。