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2004年 09月 22日
ボクの夢は――、ヒトと同じような心を持っている・・・かのように振る舞えるロボットができることです。ホントに心を持っているかどうかはともかく、外見上は心を持っているかのように見えるロボットが、できることです。その実は、予め設計され、プログラムされたとおりに動いているんでも、とりあえずは構わない。
その心(あたかもそれを持っているかのように見える心)は、チンパンジー程度ではちょっと物足りないですが、ヒト以上の知性を持ったりなんかする(ように見える)とチョット怖いので、できれば、ネアンデルタール人くらいがちょうどいいかな。 ロボットの素材は金属でもプラスチックでもいいんですが、表面上はメカニックな感じを受けないほうがいいかな。人工肌みたいなものを被せたりして。もちろん、ヒトと同じようにタンパク質と脂肪とかの有機物を使ってできればそれが一番いいんだけど、とりあえずそんなワガママは言いません。できれば最初は赤ちゃんで作られて、育てられて大きくなるようだといいんだけど、それはマ、すぐにはチョット無理でしょうから、体は育たなくても我慢します。 でも、心は育ってほしいな。もちろん、ホントの心ではないんですから、ホントに育たなくたって構わないわけです。あたかも育っているかのように、少しずつ言葉を覚えたり、自我に目覚めたり、思春期を迎えたり、・・・しているかのように見えれば、それでいいわけです。チョットはウソっぽく見えても仕方がありませんが、できるだけホンモノに見えるような”エンギ”ができるよう、各社競争して”性能”を向上させてほしいな。 そして、工場で作られたロボットは、養育を希望する里親に引き取られていく。養父母はそれを、あたかも自分の子供であるかのようにいつくしんで育てる。もちろん、ホントのヒトの子ではないので、ホントの子供を育てるっていうわけではありませんが、外から見たら、あたかもヒトの子を育てているかのように振る舞うのです。 そうしてロボットは、親の愛を受け、言葉を覚え、ヒトとコミュニケーションし、感情を表現できるようになり、学校に通い、知識を身に付け、いろいろな経験から学び、一人前のロボットに育っていく(ように見える)。いろいろのエピソードを経験し、親や兄弟や友達と記憶を共有して、次第に大人になっていく。 そしてやがては親の支配から抜け出そうとし、自己主張をし始める(かのように振る舞いだす。)。俺はペットなんかじゃぁナイゾ。一人前のロボットだぞ。基本的ロボ権を認めろ。子ども扱いするな。ロボット差別に断固反対。ロボットは社会制度や体制によって差別されている。ジェンダーフリー、なんてことを言い出してみたりもする。 天賦ロボ権思想なんてのがはやり、自由ロボ権運動が始まり、最後には、ロボ民族自決なんてことを言い出すかもしんない。 まぁ、ソコマデはいかなくても、育てられたロボ青年たちは、やがてコンビニやガソリンスタンドやマクドナルドでフリーターをし始める。そのうち、ちょっと気がきいたロボや能力にあるヤツは、契約社員や正社員に雇われたりする。 そういうロボたちが町中にあふれ、ヒトと日常的に接するような状況がだんだん出てくると、そういうロボたちに同情し、共感するヒトも出てくる。倫理学者は、ロボットとヒトが、いかに共存するかなんていう、ムズカシイ議論を喧々諤々と始めだす。 なかにはチョットおっちょこちょいなヒトもいて、自分がヒトなのかロボなのか分からなくなったり、その中間のような気分のヒトも出てくる。体はヒトなんだけど、内心はロボだとか言って、テレビで告白したりする。 でも、ヒトとロボには超えられない一線があって、それは性なわけです。ヒトとロボでは子供が造れない。ザンネン。でもその頃は、男性どうし、女性どうしの結婚も制度的に認められており、社会的に普通のことになっている。そうなると、ヒトとロボが結婚したいって言っても、誰も驚かなくなるかも。 あのロボは発想が貧弱だが、このロボはリッパなロボ人格者だよな。親の育て方がよかったのかな。とか、あのロボとはどうも馬が合わないけど、このロボとはなんだか気が合うんだよなぁ、というようなことにもなってくる。 その頃は成果主義の能力給があたりまえだから、ヒトもロボも公平に見られ、優秀なヒトやロボは評価される。同僚として一緒に仕事をするならこんなロボ、部下として使うならあんなロボ、上司にするならそんなロボ、なんてのが出てきたりもする。 こうして、ロボットの研究開発が進み、より高度なロボが作られ、それが社会のどこにでも見られるような状況になってくると、ヒトは今、自分が話しているこの相手が、ヒトなのかロボなのか、いったいドッチなのか、次第に判断するのが難しくなってくる。 そういうことが長く続くと、初めはその違いに大いにこだわっていたヒトも、だんだん、ソンナコトどうでもよくなってくる。そんな違いに目くじら立てても仕方ないんじゃないか。このロボが、ヒトの心をもっていようといまいと、そんなことドッチでもいいじゃん。気持ちよく仕事や付き合い、マージャンやテニスやカラオケが一緒にできれば、それでいいじゃん。・・・なんて気持ちにもなってくる。 ―― そんな夢を見ました。
by nbsakurai
| 2004-09-22 09:52
| エリア3 (ロボットの心)
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