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2004年 09月 22日
【 X 】 ・・・ 客観的視点に立って、世界(客観的現象)の記述を目的とする科学の営み、それによって説明し理解される客観的世界
【 Y 】 ・・・ 主観的な視点による、「私」(主観的・主体的現象)についての人文主義的な営み、《私》という主体性、それによって理解される主観的世界 XとYの区分は、その視点が、客観的な視点Xか、主観的な視点Yか、ということによる区分です。 ◎ ジブンの体が分からない 自己が混乱して、身体の一部や他者、場所、あるいは経験との関係性が激変することはいくらでもアル、そうです。『自我が揺らとき』 ドット・E.ファインバーグ (岩波書店)。 たとえば、身体失認の患者は、自分の身体の一部が自分のものと分からなくなり、頭から否定して、説得を一切受け付けないそうです。 脳卒中で右脳の運動中枢と感覚中枢に損傷を受けて、左腕が麻痺した患者が、損傷した脳の反対側を無視する半側無視という症状を起こすことがある。その患者の右側で、その左腕をゆっくり動かして患者の右側にもっていって、「これは何ですか?、よく見てください。」と言うと、「先生の指です。」とか、「先生の手の甲です。」とか言って、「これはあなたの手ですよ。」といくら言っても、「そんなはずはありません。」とか、「違います。」と、あくまでも言い張るんだそうです。 「でも、目と感じるのとは違うんです。感じるほうがほんとうでしょう。たしかにわたしのもののように見えますけど、でも自分のものとは感じられません。だから、わたしは自分の目を信じません。」ということなんだそうです。 彼女が自分のものと認めなようとしなかった腕は重度麻痺で、感覚がほとんど失われていた。とくに自己固有受容、つまり自分の手足の空間的位置関係を感じて理解する能力が失われていたが、これは身体失認患者に共通の症状である。彼女は目で確認しなければ、その腕がどこにあるか分からなかった。 ある患者は何度も左腕をベットから放り出そうとしていたので、すぐ身体失忍とわかった。 べつの患者は看護スタッフに、ベットで隣に誰かが寝ていると苦情を言った。 左半身について聞かれて、「どこかのおじさんですよ。いつもベットに横になっているんです」よ答えた四十八歳の女性。 陸軍病院に入院していた士官候補生が「自分と壁との間には「そいつ」(他人)が入る余地はないんだ」と言い張った。 ・・・ということで、他の人(或いはその肉体や言動)をジブン(或いはその肉体や言動)と誤認したりはしないとしても、自分の肉体(の一部)を他人の肉体(の一部)と誤認する、ということはあるようです。 自分の目で自分の体とつながっていると観察できても、それだけでは”自分の”っていうことにはならず、外側から観測するということでしかないのかもしれません。 ◎ 客観Xと主観Yの視点で見た場合 同じ腕を見るにしても、客観的な視点で外側から見る場合Xと、主観的な視点で内側から見る場合Yとでは、違いがあるのではないか。傷の治療をしようとして薬を塗るときは、Xでしょうか。その腕が自分の腕か他者の腕かは、この場合とりあえずあまり関係がありません。その傷の痛みの感覚は、Yでしょうか。客観的視点で見た他人の腕には、主観的な傷の痛みを感じることがありません。 ”ジブンの思索もまたジブンから見える世界の一部”には違いありませんが、それは客観的な視点で外側から観察することはできません。したがって、これはYです。同様に、「ジブンの意識」はジブンの外にはありませんから、これはYです。
by nbsakurai
| 2004-09-22 10:26
| エリア4 (問題の所在)
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