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2004年 09月 22日
○ 人の心は進化の産物という発想
人間の心は、生物進化の過程、自然選択の過程で、その場その場の、場当たりの改善が積み重ねられたもの。 ありうる最善のものではなく、誤りの多い装置であり、さまざまなバイアスがかかってる。 キカイの心はそうではなく、初めに理想があり、目標があり、設計思想があって、それにしたがって整然と合理的に作ることができる。 ・・・かもしんない。 ○ 自己意識は対人関係から生まれたという発想 二番目の、意識や感情は、情報処理やプログラムではなく、さまざまな化学物質が多量に激しく往来する物質(エネルギー)の流れが必要だ、っていうのも、そうじゃないのかなって気がします。 コンピュータ・シミュレーションで心が作れるっていうのは、やっぱ、なんかウサンくさい。 ○ ボトムアップ知能という発想 ボトムアップロボットが、経験から学んで人と同じような心をもったとして、でもそれはロボットがいわば勝手にやったことで、そしたら、心ってどういうもんなの、っていう問いに対する答え、心のメカニズムは、やっぱりわからないのかな。 ほらほら見てごらん、こうやって知能はできたのよ、ってだけで。 人間に、ボトムアップではない、トップダウンの知能って、あるんでしょうかね。 ○ 人間の脳は四層構造 やっぱ、人間の脳は、進化の過程の「歴史的偶然」で場当たり的に作られてきていて、合理的に設計されたもんではないから、きちんと区分・整理したりはできない、「つぎはぎ構造」になっているんでしょうかね。 「人の心は進化の産物という発想」の「ありうる最善のものではなく、誤りの多い装置であり、さまざまなバイアスがかかってる」っていうの、ホントかもしんないね。 ○ 水槽内の脳 「水槽内の脳」は、まだまだ不完全ですが、ある程度のことはできるようです。ただ、肉体から切り離された脳のシュミレーションが、肉体を持った脳と同等に完全になることはありえないのではないか、と私は思っています。 例えば、私が車の鍵を開け、車に乗り込み、メガネをかけ、エンジンをかけ、アクセルを踏み、タバコを吸い、カーステレををつけ、・・・という場面では、脳から手や足やその他の肉体に様々な電気信号が送られ、それに対応した肉体の動きがあり、その肉体の動きにあわせた視覚(手や足の動き、ドアが開く、メガネが近づいてきて見え方が変わる、窓の外の景色が動く、タバコの煙の流れ、・・・等)、それにあわた聴覚(ドアの閉まる音、エンジンのスタート音、カーステレオの音、周りの騒音・・・)、その他の感覚(芳香剤やタバコの臭い、肉体の態勢の感覚、アクセルを踏む足の感覚、加速度の感覚、スピード感・・・)をすべて計算してシュミレーションし、それを電気信号に変換して、リアルタイムで水槽内の脳に送ることができなければ、完全なシュミレーションとは言えないのではないかと思います。 つまりこれは、人間が肉体的に感覚できる世界をすべて再現し、計算し、シュミレーションし、それをリアルタイムで脳の要求する電気信号に変えて送ることができるのか、ということです。そのような世界をシュミレーションすることだけさえ、リアルタイムにできる(ようになる)とは私には思えません。さらに、脳からの電気信号を解釈してシュミレーターに渡し、シュミレーターからの出力を脳の要求に合わせた形に変換し、その電気信号を脳にその要求する秩序でリアルタイムに渡す装置を接続する・・・、まず不可能だと私は思います。 つまり私の言いたいのは、肉体から切り離されて水槽内に入れられた脳は、そうでない脳とは明らかに違うのではないかということです。脳と肉体は一体であり、不可分であり、これを分けてしまえば、もはや違うものになってしまうのではないか、ということです。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「水槽内の脳」は、(シミュレーションではない)実際の脳についての話で、ただその脳は身体というものをもたず、したがって身体を通して外にある世界と直接相互作用することができず、その外の世界をコンピュータでシミュレートされた世界で置き換える、っていう話だと思います。私は、そんなことはできないんではないか、と思ってる。 で、人間の脳をコンピュータで複製する、人の心をシミュレートするっていうのは、脳のシミュレートなワケです。そして、このシミュレーションの脳も、やっぱり、外の世界と実際に相互作用する必要があるんではないか、と私は思う。そんでは、脳はシミュレーションでやって、外の世界は(シミュレーションではない)実際の世界を使うっていうのはどうか。それもできないんではないか、と私は思う。ここまでが脳で、ここからが脳の外の世界で、ここまでをシミュレーションでやり、ここからは実際のものを使う、そんなふうな線引きが、ハタシテできるのかどうか。もちろん、脳も世界も、その全部をコンピュータでシミュレーションするなんてことができるとは、私はまったく思っていない。 そこで、シミュレーションの程度の問題なんだけど、やろうと思えばある程度のことはできると思う。細部を無視したり、簡略化したモデルを使ったりして、そのある性質や側面や傾向なんかを示すことはできるのではないかと思う。そしてそういうことが、研究活動として意味がないとも思わない。でも、それで人の脳なり心なりの本質が、果たして実現できているのかどうかというと、それはまた別の話ではないかと思う。 チューリングマシンたるコンピュータでシミュレートするためには、その本質がプログラムできる形で明らかになっていなければならない。で、人の脳や心がそこまでわかっているのかといえば、そうなっているとは思えない。今後そうなるかどうかも、怪しいところだと思う。 人の脳や心の本質が、チューリングマシンたるコンピュータでプログラムできるような形で把握できるのか、そういうことができるような本質がそもそもあるのかどうか。 ・ 人の心は、生物進化の過程、自然選択の過程で、その場その場の、場当たりの改善が積み重ねられたもの ・ 人間の脳は、進化の過程の「歴史的偶然」で場当たり的に作られてきていて、合理的に設計されたもんではない ――とするなら、それを再現するのは、簡単明瞭な方程式や、単純明快な原理っていうわけにはいかない。つまり、簡略化されたモデルを使ってシミュレートする、っていうようなわけには、なかなかいきにくい。 では、人の心はそうだとしても、本来の心、理想的な心、普遍的な心、そういう心そのものの一般原理、そういうものがあるのかどうか。そういう一般原理によって心の本質をプログラムできるのか、これはもう、まったく霧の中だと私は思う。そうするととりあえずは、実際の人の脳や心をプログラムしてシミュレートするしかない。 私は、外の世界と相互作用するってことが、人の脳や心の本質的な問題としてあるのではないか、と思う。人の脳や心とそれ以外の世界を、切り離して断絶させることはできないのではないかと思う。つまり人の脳や心をシミュレートするってことは、世界全体のシミュレーションに不可避的に結びつく。そして、世界全体をシミュレートするなんててことは、ムリなんじゃないかと思う。いわゆる物質、実際の世界の物質というものを使わないで、人の脳や心を実現することなんてできないんではないか、と思う。 天気予報は、地球気候のシミュレーションによって行われているのだと思う。だから、シミュレーションが実現できていると言っていい。でもそれは、その原理や実際がすっかり分かっていて、それをそのままシミュレートしているわけではないと思う。簡略化されたモデルを使い、大まかなシミュレーションしかやっていないので、実際の気象とは当然にズレが生じてくる。で、実際の気象と照らし合わせ、そこからデータをもらってくることが絶えず必要になっている。シミュレーションだけでは足りず、実際の世界の状態というものが別に不可欠になっている。その意味では、シミュレーションは実現できていないと言っても、そうマチガイではないと思う。 原発で作った電気でも、風力発電の電気でも、どちらでもコンピュータの電源として使うことができるだろう。でも、コンピュータがシミュレーションでつくった電気は、そのコンピュータの電源としては使えない。シミュレーションの嵐は、コンピュータを濡らして故障させたりはしない。それができるのは、シミュレーションの世界の中だけ。つまり、シミュレーションは、実際の世界と相互作用することはできない。そして、人の脳や心は、実際の世界と相互作用するってことが、その本質としてあるのではないか、と思う。そこまでをシミュレーションで実現しちゃえばいいワケだけど、そんなことはできないんじゃないか、と私は思う。 コンピュータがムーアの経験則で今後も性能を伸ばしていくとしても、いつかは壁にぶつかると思う。コンピュータの実現原理が進歩して、光コンピュータや量子コンピュータができたとしても、限界があるってことには変わりがない。メモリ容量も演算速度も無限のコンピュータっていうのは、数学的にはありうるのかもしれないけど、ファンタジーだと私は思う。コンピュータは世界内存在で、それで世界をシミュレートすることができるなんては、私にはとても思えない。世界全体をシミュレートするには世界全体がそのまま必要なんではないか、と思う。世界の歴史を再現するには世界の歴史そのものの再現が必要なんではないか、と私は思う。そして、人の脳や心をシミュレートするってことは、世界全体をシミュレートするってことと、そんなに違わないのではないか、と私は思う。 現在わかっている範囲で、たとえば相対論や量子論の方程式を使って、人の脳や心がシミュレートできるか、これはムリでしょう。科学はまだ、万物理論、究極理論には達していない。達することができるのかどうかもわからない。そこに達することができなければ、世界をシミュレートすることなど、究極的にはできるはずがない、と私は思う。そして、仮に達したとしても、それをもって世界のシミュレーションができるのかどうか、それもやっぱりムリなんじゃないか、と私は思う。 人の脳や心をシミュレートするってことは、たぶん、それに近いことではナイかっていう気が、私にはしている。そこまで至らないまでも、何かプログラムできるような心の本質ってものがいつか発見できて、それをチューリングマシンに乗せてシミュレートする、それによって人の脳や心が複製できる、そういうふうにはなかなか思えない。少なくとも、物質的なニューラルネットワークでの実現以前に、それができるようになるとは、私には思えない。両者を比較したら、前者のほうがずっと容易に思える。だって、実際にあるんだから。前者ができたら直ちに後者もできるのかって言えば、それもそうとは思えない。前者ができるっていうことが、プログラムできるような形で心の本質が分かるってこととイコールとは限らない、と私は思うから。 以上、分かったような、分からないような、私はそんな気がする、っていうお話でした。
by nbsakurai
| 2004-09-22 14:06
| エリア3 (ロボットの心)
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