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2004年 09月 22日
『ケンブリッジ・クインテット』 Crest books
ジョン・L・キャスティ (著), 藤原 正彦, 藤原 美子 新潮社 精神と機械の本質を浮かび上がらせ、それに関する知見を高校生にも分かるほど平易に解説するため、架空の会合を開き、一流学者に討論させる。 登場人物は、次の5人。 C・P・スノウ ・・・ 理系文化と文系文化の間の亀裂について警告を発したことで名高い作家、物理学者、閣僚 シュレーディンガー ・・・ 量子力学創設者の一人 ヴィットケンシュタイン ・・・ 今世紀最大の哲学者の一人 ホールディン ・・・ 遺伝学者 チューリング ・・・ コンピュータの創設者とも言われる数学者 このそうそうたる面々が、ケンブリッジで知的五重奏を奏でるという設定。機械は果たして考えることができるのかという問題を、ヴィットゲンシュタインとチューリングが、正反対の立場から論争する。 事件は何も起こらない。あるのは哲学、心理学、数学、物理学、生物学などを巻き込んだ、白熱の議論だけである。当時の話題だけではなく、今日の人工知能に至るまでの50年間に人類が直面してきた、基本的な哲学問題が次々に議論される。それそれの人物に、もしそんな会合があったら、きっとそう言うだろうと思われることを言わせている。 >レビュー Amazon.co.jp 1949年のある暗い嵐の夜。1人の科学者の呼びかけに応じて4人の知の巨匠たちがケンブリッジに集まり、ディナーを共にしながら、人工知能について議論を闘わせた。遺伝学者J・B・S・ホールデイン、物理学者アーウィン・シュレーディンガー、数学者アラン・チューリング、そして哲学者ルードヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン。その夜、彼らがもし本当にイギリスの科学顧問C・P・スノウの家で出会っていたら、『The Cambridge Quintet』(邦題『ケンブリッジ・クインテット』)で展開されるドラマを実際に演じていたかもしれない。この「サイエンス・フィクション」は、今日依然として激しい議論の的となっている、知能とその「金属とガラスとプラスチック」による再現というテーマの草創期がいかなるものであったかを描きだしている。 ジョン・L・キャスティの見事な描写力は、読者がゲストたちと共に食事を味わい、彼らの交す冗談やときに白熱する議論を堪能することを可能にしている。短気で傲慢なヴィトゲンシュタインはしばしば、このテーマに対するフラストレーションを爆発させるように、人工知能の概念そのものを不可能だとして攻撃する。一方、穏やかだが力強さを内に秘めたチューリングは、世界が自分に追いつくのを待つ予言者の自信を漂わせながら、当時まだ斬新だった理論を説く。ホールデイン、シュレーディンガー、スノウは、それぞれ同テーマに対する自らの深い洞察を披露しつつ、2人の対立をあおる。思考とは何かという問題から脳における言語の役割に至るまで、議論は洗練された、しかし形式ばらないスタイルで展開される。 キャスティはあえて年代的な正確さを無視するが、これによりかえって読者は、ヴィトゲンシュタインとチューリングが共に1951年に他界していなければ、人工知能の理論に多大な貢献をしていたであろうことを、再認識するのである。食事が終わっても、彼らが何らかの結論や意見の一致に到達することはない。おいしい食事と同様に、この本の楽しさは、それを消化することではなく、味わう行為そのものにあるのである。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ホントに、消化することはできませんでした。(~_~; 味わうことができたのかどうかも、定かではありません。 人の心や機械の心をめぐる議論は、こんなにも混乱した状況にあるんですネェ。 人によって言うことがマルデ別で、ちょっと噛みあいそうにもない。 意見が一致するなんてことは、オヨソ想像すらできないくらい。 これを読む限り、議論して何とか結論を出そうなんてことは、ムボウみたい。
by nbsakurai
| 2004-09-22 14:07
| エリア3 (ロボットの心)
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