カテゴリ
全体 ★ ★ 総 括 ★ ★ ~ ~ ~ ~ ~ ~ 《 過去記事の目次 》 『科学的世界観』のBlog エリア1 (科学の周辺) エリア2 (客観Xと主観Y) エリア3 (ロボットの心) エリア4 (問題の所在) エリア5 (様々な発想) エリア6 (生物学的発想) エリア7 (「空」・「唯識」) エリア0 (Blog 総 括 ) ~ ~ ~ ~ ~ ~ ☆☆ 参 考 図 書 ☆☆ 検索
最新の記事
記事ランキング
最新のコメント
最新のトラックバック
タグ
ファン
ブログジャンル
|
2004年 09月 22日
・ 「この私」は「全体」の一部であるのかどうか。
・ 「この私」は「全体」から切り離すことができるのかどうか。 ・ 「この私」は「全体」からの帰結・反映・相関によって成立しているのかどうか。 ・ 「この私」と「この私ならざるもの」の境界はどうなるのか。 ・ 「心」は「全体」に依っているのかどうか。 ・ 「この私」と「全体」が切り分けられるのかどうか。 ・ 『「この私のこの」心』は「全て」に影響されるのかどうか。 ・ 『「この私のこの」心』はスタンドアローンでありうるのか。 ・ 「この私」を「全体」から切り離しても成立するのかどうか。 ・ 「私」と「全体」はどういう関係になっているのか。 そこで、『唯識』は考える。 世界のあり方、物の見方には三種類ある。(三性) ① 世界をバラバラに分解して見るものの見方。 ② そこにツナガリを見るものの見方。 ③ それをヒトツ・空としてみる見方。 まず、世界をバラバラに分解する。「この私」と「それ以外」を切り離した上で、そこにツナガリを見ることによって、「全体」というものを考える。 まず世界を「全体」としてヒトツ(「空」)と見る。その上で、そこにイチオウ仮に分節されたものとして、「この私」を見る。 『唯識』はドッチなのかというと、後者なわけです。 『唯識』は次のように主張します。 人の心には、その奥底に、意識できない心の働きがあって、それが「この私」と「それ以外」、「この命」とそれ以外を分別して、「この私」や「この命」にどうしようもなくこだわるようにできている。 それは、錯覚、幻想、妄想、虚妄、煩悩、迷い、執着なんだけど、人はそんなふうに考える、そんなふうにしか考えられないようにできている。 そんだから、いろんなニセの問題をかかえることになる。 「この私」と「それ以外」を切り分けるってのは、意味のない大間違いなんだよ。 修行して「空」を体得すれば、世界の正しい姿がちゃんと分かるんだけどな。 イノチとイノチでないもの、そして、ワタシとワタシでないものは、実はつながっていて、ヒトツであって、根本的には等しく、平等である。 すべてはつながっており、すべてはヒトツで、すべては「空」である。それを分別してしまって、ジブンやイノチに執着してはいけない。
by nbsakurai
| 2004-09-22 15:32
| エリア7 (「空」・「唯識」)
|
Trackback
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||