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2005年 09月 25日
祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。 奢れる者も久しからず、ただ春の夜の夢の如し。 猛き人も終には滅びぬ、偏に風の前の塵に同じ。 ・・・・ 平家物語 行く河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとゞまりたるためしなし。世中にある人と栖と、又かくのごとし。 玉敷の都のうちに、棟を竝べ甍を爭へる、尊き卑しき人の住ひは、代々を經て盡きせぬものなれど、是ををまことかと尋ぬれば、昔ありし家は稀なり。或は去年破れて今年造れり。或は大家滅びて小家となる。住む人も是に同じ。處もかはらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二三十人が中に、僅に一人二人なり。朝に死し、夕べに生るゝならひ、たゞ水の泡にぞ似たりける。 知らず、生まれ死ぬる人、何方より來りて、何方へか去る。また知らず、假の宿り、誰が為にか心を悩まし、何によりてか目を悦ばしむる。その主と栖と無常を爭ひたるさま、いはゞ朝顔の露に異ならず。或は露落ちて花殘れり。殘るといへども朝日に枯れぬ。或は花は萎みて露なほ消えず。消えずといへども夕を待つことなし。 ・・・・ 方丈記 思へばこの世は常の住み家にあらず。 草葉に置く白露、水に宿る月よりなほあやし。 きんこくに花を詠じ、栄花は先つて無常の風に誘はるる。 南楼の月を弄ぶ輩も月に先つて有為の雲にかくれり。 人間五十年、下天の内を比ぶれば、夢幻の如くなり。 一度生を享け、滅せぬもののあるべきか。 ・・・・ 敦盛』 露と落ち 露と消えにし 我が身かな 難波のことも 夢のまた夢 ・・・・ 秀吉の辞世 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 以上のような日本の「無常観」と、苦を脱却するという仏教の「空観」とは、一見するところよく似ているように見えても、実はかなり趣が異なるような気がします。 これらは日本的な美意識として、人の世のはかなさを情緒的、詠嘆的に表現しようとしたもののように見え、言ってみれば、哲学的な「無常観」というよりもむしろ、詩的な「無常感」のように感じられます。 一方には言わばかなり湿った感じがあるが、他方はかなり乾いているようにも感じられる。
by nbsakurai
| 2005-09-25 10:02
| エリア7 (「空」・「唯識」)
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Tracked
from 森下勉の人生建て直し日記
at 2005-10-26 13:23
タイトル : 「空」とは何か
「空」という仏教用語がある。 しばしば「全てのものには実体がない」という意味だと説明されるが、 僕は、この説明がかなりの誤解を生んでいるのではないかと思っている。 問題は「実体がない」という言葉の意味だ。 僕たちが普段、日常生活の中で使う「実体がない」という言葉と、 哲学・宗教用語としての「実体がない」という言葉とでは、 大きく意味が食い違っている。 普通、世間の人々は、 「実体がない」という言葉を聞けば、 「実は存在しない」とか「見せかけだけが存在する」という意味だと思って...... more
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