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2005年 10月 02日
『心の進化 ―― 人間性の起源を求めて』 松沢哲郎・長谷川寿一 岩波書店
『言語の起源』 Robin I. M. Dunbar 訳:平石 界、長谷川寿一 P67 ヒトを他の動物から区別する特徴である言語は、なぜ、そしていつ進化したのだろうか。”社会脳仮説”の視点から、この謎解きに挑戦する。言語は、物理的世界や抽象的な概念について情報交換するために進化してきたのではない。グルーミングと直接観察という霊長類のふつうのやりかたで対応するには複雑すぎる社会空間で、われわれが適切な行動をとれるように進化してきたのである。 P68 霊長類が大きな脳をもつ必要がある理由は、彼らがきわめて複雑な社会システムに暮らしているという事実と関係があるようだ。マキャべり的知能仮説(または、社会知能仮説)として知られるこの考えは、イギリスの心理学者、ByrenとWhitenによって初めて提示された。彼らは、霊長類の社会が他の動物種の社会と異なるのは、複雑な政治的行動(たとえば意図的なごまかしや他者の操作)を用いる点においてだと論じた。 P69 ByrenとWhitenは、他個体の心を理解するために必要な情報処理には巨大な計算能力が要求され、これこそが霊長類の系統における大きな脳の進化を導いたのだろうと論じている。 P69 霊長類の大きな脳の進化に対する淘汰圧は、その社会的行動の複雑さに起因するという仮説は、いまや確固としたものであり、広く認められつつある。現在、この仮説は神経心理学者のlesley Brothersの命名に従って、”社会的知能仮説”とよばれている。 P73 以上の結果から、相互に関係するふたつの重要な問題点が導かれる。 まず第1点は、過去1世紀の間、神経科学と心理学における基本的前提が、脳(とくにヒトの脳)は環境上の、あるいは抽象的な情報を処理するようにデザインされている、とみなしてきたことだ。実際、この前提ゆえに、霊長類(よってヒト)の脳は社会的な情報を扱うように進化してきたという点を見逃してきたのだろう。社会的情報は、もちろん通常の知覚プロセス(パターン認知、色覚処理など)と抽象的な論理的プロセスとに依存したものであるが、これらのプロセスは、心という建造物を構成するレンガにすぎない。社会的空間で生活することの複雑性は、それだけでたんなる物理世界における生存に要求される情報処理能力をはるかに超えてしまうだろう。 第2の点は、この議論が言語にもあてはまるだろうということである。言語学者や言語の性質に関心をもつ社会科学者たちはすべて、物理的世界(どこでものを探すか、どのように物事を行うか)もしくは抽象的な概念(三角形の概念)について情報交換するために言語が進化したのだ、と暗黙のうちに認めてきた。繰り返し強調するが、私は言語がこれらのことを可能にしていることを疑っているわけではない。しかし、私はこれらの能力が言語の社会的な起源の派生物であると考えている。言語は、グルーミングと直接観察という霊長類が通常用いるメカニズムで対応するには複雑すぎる社会空間で、われわれが適切に活動できるように進化してきたのである。いったんこの能力を身につければ、次に他の目的にそれを利用することは、同じ基本的な認知操作(因果律の推論、一般化)をふたつの領域で応用できるので、簡単なことになる。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 大雑把に言うと、ヒトの知的能力・認知能力は、まず、社会的動物として他の人の心を読む、素朴心理学・心の理論として発生し、その副産物として、それ以外の世界の認知にも使われるようになった、ということか。 ヒトはまず、他人についてのある種の適応的・実用的な’心の世界の理解’のようなものを得る必要から、その知的・認知能力を獲得した。 その後になって、それによって得た能力を物理的世界に派生的に応用して、’物の世界の理解’も始めた。 それは、もともと’人間社会についての情報処理’をするようにつくられているわけで、’物理的世界の情報処理’や’抽象的な概念の情報処理’をするようにつくられたものではない。 そうだとすると、アニミズム、生気説、魂や心の実在説や人間中心主義を、ヒトがなかなか克服できないとしても、それはその成り立ちからして当然なのかもしれないな。 だってそれらは、もともと得意な’心の世界の理解’と相当に相性がいいと思われるし、一方、それらと相性のよくない科学っていうものは、後から副次的にでできた’物理的世界についての抽象的・数学的な世界理解’みたいなもんだろうから、それが相対的に不得意でもしょうがない。 ヒトは、科学的な世界観をなかなか受け容れにくいようにできている?
by nbsakurai
| 2005-10-02 18:38
| エリア5 (様々な発想)
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