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2005年 10月 03日
『進化しすぎた脳』 ―― 中高生と語る[大脳生理学]の最前線
池谷祐二 朝日出版社 (*注: ・ 項目名はnbが適宜つけたもの) P347~ 4回の講義は長かったから、はじめの頃に聞いたことなんか忘れてしまったかもしれない。盛りだくさんだったもんね。ちょっとまとめてみようか。 ・ 脳の機能の局在化 初日。脳というのは機能が局在化しているという話をしたよね。肺とか肝臓みたいに、すべての場所が同じ役割をしているんじゃなくて、脳はある部位はこれ、ある部位はそれと専門化しているという話をした。 (中略) ・ 人間の脳は進化しすぎ そして動物の脳をいろいろと比較してみて、人間の脳というのはどうやら必要以上に進化しちゃっている、過剰進化という話も出てきた。動物の種によっては、脳をうまく使いこなせていないんじゃないかという話になった。 なぜ使いこなせていないのかと考えをめぐらせて、体が大事だという結論にたどり着いたね。身体が脳を決めている。脳の機能は、体があって生まれるという話だった。 ・ 体と脳の関係 従来は、脳は体を支配する、体をコントロールするための総司令部だと考えられていたけれども、そうではなくて、むしろ身体が脳を主体的にコントロールしている。逆の発想――パラダイム・シフトが生まれた。もちろん脳は身体をコントロールしているよ。それと同時に、身体も脳をコントロールしている。だから脳と体を分けてはいけないっていうわけだ。脳と体は別だという人もいるけど、そんなことはない。分けることはできない、という話だね。 人間の体を少しずつ機械に変えていったら(たとえば義手とかね)、どこまで体を機械に変えたら自分が自分じゃなくなるか、という話もしたね。心を保ったまま脳までも変えたらどうか? もちろん変えた瞬間は自分かもしれないけど、その後、脳が自在に再編成できなくなっちゃうでしょ。体から脳への還元がないからね。そういう意味で「アンドロイド=人間」という概念は体の重要性を忘れている。 「心」というのは脳が生み出している。つまり、脳がなければ「心」はない。でも、体がなければ脳はないわけだから、結局は体と心は密接に関係していることがわかる。 ・ 言葉 そのひとつのポイントとして、二日目の講義で、僕は「言葉」を挙げた。人間は声を自由に操れるようになった。「咽頭」……人間はほかの動物と違って咽頭を持っているでしょ。咽頭を持ったがゆえに、言葉をしゃべれるように脳が再編成されて、いま僕たちは言葉を自由に操っている。 これはとても大きな影響を脳に与えた。なぜかというと、言葉というのはコミュニケーションの手段としてあるだけじゃなくて、つまり、信号としてあるだけじゃなくて、人間が抽象的な物事を考えるのに必要なツールになったんだ。そういう話をしたね。つまり、意識とか……「クオリア」という言葉を覚えてるかな、覚醒感覚ね。ああいった抽象性、いわゆる「心」を生み出すのは「言葉」である、という話になった。 (中略) ・ クオリアは脳の副産物 ちょっと話は飛躍するけれども、ジェームス=ランゲが言った「悲しいから涙が出るんじゃない。涙が出るから悲しいんだ」という発言は半分は正しいと思う。 <悲しい>というクオリアは、おそらくは単に脳の副産物、脳の活動の結果にすぎない。クオリアは僕たちの生活や心にいろどりを与えてくれているものであることは間違いないけれども、神経活動から生まれたクオリアがまた神経に作用するということはない。クオリアそのものは脳が生んだ最終産物である、という結論に行き着いた。 (中略) ・ 抽象的な思考の目的 三日目の講義では、人間が抽象的な思考をするということは間違いないわけで、じゃあ何の目的で抽象的な思考をするのかという理由を考えた。おそらく生きるための知恵として目の前にある多くの事象のなかから隠れたルールを抽出するために重要だろうという話をしたね。見えるものの表層的な移ろいに流されないで、そこに潜んでいる基礎ベースを確実に抽出して、それを学習して別の機会に応用できるようにするために、抽象的な思考はひと役買っているんだろう、という話をした。 (中略) つまり、覚えなければいけない情報を有用化して保存するために、脳は事象を一般化する「汎化」ということをしている。その汎化をするためには、脳はゆっくりと、そしてあいまいに情報を蓄えていくということがわかった。それが、我々の記憶ってわけだ。 ・ シナプス 次に、その<あいまいさ>は脳のどこから生まれるのかという疑問を持った。神経の構造や仕組みを習って、そのあいまいさの起源はシナプスにあることを知ったね。さらに、シナプスの結合力が重要だという話もした。シナプスの結合力は記憶力と関係がある。シナプスの結合力が変化すると、記憶力も変化するという実験の話も出てきた。 ・ 部分と全体 そうやって脳の仕組みの細部に踏み込んだところで、今度は逆の視点から、細部だけを見ていてはダメだよという話もした。神経やシナプスといった脳のパーツだけを知っても脳を知ったことにはならない。部分を足し合わせた総体が全体だという考え方は危険だぞ、と。そういう意味では、なんでもかんでも単純化するのはまずいんじゃないかというわけだ。 (中略) つまり、部分と全体というのはたがいに不可分で、相互に影響を与えている。
by nbsakurai
| 2005-10-03 22:25
| エリア5 (様々な発想)
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