私たちに、ある映像が見えるのは、映像情報を処理すべく脳の神経細胞が活動するからです。では、映像を見ている「わたし」はどこにいるのでしょうか。
目という窓を通して世界を見ているように感じていますね。「わたし」が目の後ろにいるかのように。
でも、わたしの自我そのものは物質世界には実在しません。視覚や聴覚、体の位置、平衡感覚からの信号を総合することによって、「わたし」が目の奥に存在するように感じられているのでしょう。
ところが脳の側頭葉と頭頂葉の境界部に障害があると、「わたし」の場所が変わってしまうことが報告されています。自分が身体から抜け出してしまったように感じられるのです。
脳のこの部分で視覚情報と自分の身体の位置情報を伝える信号が合流して「わたし」の位置を計算します。障害で信号のバランスが崩れると「わたし」の位置がずれてしまうのです。
「わたし」とは世界を解釈するために都合の良いように作り上げられた虚構に過ぎません。この虚構を生み出すメカニズムを脳という物質から明らかにする研究が進んでいます。
(坂井克之・東天啓教授)
―― 朝日新聞 2008年7月8日 意識 十五章 ⑪
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う~ん。「わたし」とは世界を解釈するために都合の良いように作り上げられた虚構に過ぎない、なんてなんか随分とすごいことがやけにアッサリと書かれている、っていうような感じですね。
追記4: 自己という幻想 ・ 量子論と「空」