カテゴリ
全体 ★★ 目 次 ★★ 『科学的世界観』のBlog エリア1 (科学の周辺) エリア2 (客観Xと主観Y) エリア3 (ロボットの心) エリア4 (問題の所在) エリア5 (様々な発想) エリア6 (生物学的発想) エリア7 (「空」・「唯識」) ☆ 参 考 図 書 ☆ 未分類 最新のトラックバック
このBlogについて
このBlogの原点というか出発点は、・・・
『 科学的世界観 』 ―― 科学的知識に基づく世界の統一的把握とその帰結及び限界 ―― という、既に公開されている本です。その本の趣旨については、この下の箇所で述べているとおりです。 このBlogは、その公開後において、様々な方と議論し、様々な本を読み、そこで考えてきたことを述べてみようという趣旨のものです。それを整理・編集して、ここに再現したもので、概ねこれまでの時間経過に従っています。 今後は、随時、読んだ本のことや、考えたことを、その都度、ここに述べていければと思っています。自分のこれまでの、そして今後の考えの経過を記録し、整理していくとともに、見ていただいた方からコメントがつくことも、期待しているものです。 ........................................ ★ 科学的世界観の掲示板 コメントをどうぞ ........................................ ★ 『科学的世界観』 ―― 科学的知識に基づく 世界の統一的把握と その帰結及び限界 ―― http://www.geocities.jp/nbsakurai/ われわれの住むこの宇宙は、どのようにして始まったのであろうか。そのなかで生命はどのようにして生まれ、人類はどのようにして誕生したのか。自分はどこから来てどこへ行くのだろう。自分の生きているこの世界はどのようなものであり、そして自分とは何なのか。……。 私がここで試みたのは、科学的な知識や事実をもとにした、世界の統一的な把握である。私はここで、科学的な知識を一定の方針のもとに収集し、それをある枠組みを使って整理し、集約し、体系化し、そうすることによって世界についての総合的な理解を得ようと試みた。 現代の科学は、様々な個別科学に分化して研究されている。細かく分化することによって、それぞれの科学はより深く、より精密になってきた。しかしながらその結果として、その間の連絡は疎遠になり、世界の体系的理解からは次第に遠ざかってきた。個別科学が、その対象とする領域でいかに精密な理解に到達したとしても、個々の分野を理解するだけでは、世界全体を相互に関連した整合性のあるものとして理解することはできず、世界観として不十分である。細かく分けられたそれぞれの分野で得られた個々の知識を統合することによって、はじめて、世界の包括的・統一的な理解が可能となるであろう。 三つの小世界についての科学的な知識の集約は、科学的知識の単なる要約には留まらず、やがてわれわれをある総合的・統一的な世界の理解へと導く。それぞれの個別科学のもつ意味や意義は、世界の全体についての首尾一貫した見方を持ったうえで評価するのでなければ、正しく理解されたことにはならないであろう。そして世界についての統合的な理解は、われわれにある一定の帰結をもたらす。 最後にわれわれは、そのようにして得られた世界についての体系的・統一的な理解とその帰結とが、どのような意味をもち、どのような根拠によって正しいのかを検討する。科学的世界観の正当性を検討するために、そこでは「科学的知識に基づいた理解」という枠組みが取り払われる。世界についての統一的な理解は、最後には科学的な知識によるという制約からも自由になる。そのようにして批判的に検討されることによって、科学的世界観はより一層広い地平に立つものとなるであろう。 ........................................ 意見・批判・指摘・感想等をお寄せいただきたい。関心のある人との議論を通じて、さらに内容を深化・発展させていくことができれば幸いである。 ライフログ
フォロー中のブログ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
2004年 11月 23日
『サイエンス21』
ミチオ・カク 野本陽代 翔泳社 P453 万物の理論へ向かう 現代科学の業績の一つが、自然の四つの基本的な力を確認したことである。重力(それによって太陽系や銀河がひとまとまりになっている)、電磁気力(光、電波、マイクロ波などが含まれる)、弱い核力(元素の放射性崩壊を支配する)、強い核力(宇宙全体で太陽と星を輝かせている)。 これらの力の基礎的な方程式を理解することで、本書のなかの予測の多くが可能になった。事実、四つの力のそれぞれを記述する方程式をすべて書いても、小さな字なら一ページに収まってしまう。驚いたことに、基本レベルでの物理の全知識をこの一枚の紙から引き出すことができる。 しかし、過去2000年間の科学の最大の業績は「万物の理論」ということになるだろう。それはこれらの四つの力を、2.5センチくらいの長さの一つの方程式にまとめてしまう。アインシュタインは彼の生涯の最後の30年間を、この伝説的な理論を探すことで無駄に過ごした。彼は統合に向けた道筋を最初に示したが、結局うまくいかなかった。 万物の理論は、バラバラなものを統一するので哲学的・審美的に心地よいだけでなく、ワームホールは存在しているか、タイムマシンは作れるか、ブラックホールの中心で何が起きているか、どこからビッグバンはやってきたか、といった物理学のいくつかの困難な問題を解明する大きな助けとなるだろう。宇宙論学者スティーヴン・ホーキングが述べたように、この理論は「神の心を読む」能力を私たちに与えてくれるにちがいない。 P454 二つの反対の極 アインシュタインはかつてこう述べた。「自然が私たちに見せているのはライオンの尾だけである。しかし、大きすぎて一度に姿を見せることができないとしても、ライオンが自然に属していることを疑ってはいない」 アインシュタインのいうライオンの尾とは私たちが知覚する宇宙のことである。ライオンとは名高い統一理論のことで、私たちちっぽけな人間は、まだその神々しい全体像を見ることができない。 現在、ライオンの尾は、量子論(電磁気力、弱い核力、強い核力を記述する)と、一般相対性理論(重力を記述する)の二つの理論で表されている。アインシュタイン、ヴェルナー・ハイゼンベルク、ウォルフガング・パウリのような20世紀物理学の偉人たちが統一場の理論を作ろうと悪戦苦闘し、失敗した。これらの二つの理論は、まったく異なる仮定、異なる方程式、異なる物理像を基礎にしている。 過去50年間、一般相対性理論と量子論のあいだには冷戦があった。それぞれが相手方とは独立して開発され、それぞれがその領域にとどまっている限り大きな成功をおさめた。しかし、この二つの理論は、ブラックホールの中心や、重力と温度が非常に高く素粒子でさえ引き裂かれるビッグバンの瞬間には、必然的に衝突せざるを得ない。これらのエネルギーにおいてはアインシュタインの理論は役に立たなくなり、量子論が引き継ぐ。量子効果が一般相対性理論をしのぐようになる温度は10^35度で、水素爆弾の爆発よりも一兆の一兆倍も熱い。 事実、量子論と一般相対性理論という二つの理論は正反対であるように見える。しかし、もっとも基本的なレベルで、自然が右手と左手が互いに調和しない宇宙を作るとは考えにくい。 たとえば一般相対性理論は、重力や大宇宙、銀河の世界、ブラックホール、膨張する宇宙について素晴らしい記述を提供する。滑らかで湾曲した表面を土台とする美しい重力の理論を与えてくれる。「力」は時空のゆがみによって作られる。もし物体が「力」を感じるとしたら、それはその物体を取り巻く湾曲した空間の中を動いているからにすぎない。 しかし、一般相対性理論の真ん中には穴があいている。この理論は、時空の湾曲が無限大になるブラックホールの中心やビッグバンの瞬間には破綻してしまう。 同様に、量子論は小宇宙、素粒子の幽霊のような世界については完璧な記述を与える。量子論は、「量子」と呼ばれる小さな分離したエネルギーの固まりの交換によって作られる「力」という考えを土台にしている。量子論は一般相対性理論の美しい幾何学像を、その反対である小さなエネルギーの固まりで置き換える。たとえば光の粒子は光子と呼ばれる。弱い核力の量子はWボソンと呼ばれ、強い核力の量子はグルーオンである。それぞれの力は自らの量子をもっている。 もっとも進んだ量子論は標準モデルと呼ばれ、奇妙な名前を持った雑多な素粒子の分類を基礎としている(1950年代には、原子破砕器によってあまりに多くの素粒子が見つかったために、物理学者は素粒子の海で溺れそうになった。苛立ったJ・ロバート・オッペンハイマーは、次のノーベル賞はその年新しい粒子を発見しなかった物理学者に贈るべきだ、と宣言した。彼は原爆計画を指揮したことで知られている)。 標準モデルは素粒子の数をクォーク、Wボソン、Zボソン、グルーオン、ヒッグス粒子、電子、ニュートリノにまで減らすことができた。標準理論はおそらく、自然を10億分の1に再構成したことで、もっとも成功をおさめた物理学理論といえるだろう。 しかし、一般相対性理論と同様、標準モデルにも穴があいている。この理論には任意の数字が19も含まれている(すなわち、クォーク、電子、ニュートリノの質量とそれらの相互作用の強さ)。それは、なぜクォークに三つの「世代」あるいはカーボンコピーがあるのかについて説明を与えていない。それによってひどく困ったことに、現在は説明することができない三倍の重複がもたらされる。それはまた、これまでに提案されたなかでもっとも醜い理論の一つでもある。その素粒子には何の理由もないように見える。ツチブタ、クジラ、キリンをつなぎあわせて、それを何百万年もの進化の最終産物である自然のもっとも優美で優れた創造物、と呼ぶようなものである。もっと悪いことに重力について何も語っていない。 残念ながら、これら二つの理論を合体させようという試みはすべて失敗した。単純な重力の量子論は重力を「グラヴィトン」と呼ばれる小さな重力エネルギーの固まりへと分解しようとした。しかし、これらのグラヴィトンが互いに衝突すると、理論は爆発して無限大を作り出す。したがって、二つの理論の単なる合体は役に立たなくなってしまう。この無限大の問題が過去50年間の努力をすべて打ち負かした。 P456 スーパーストリング(超ひも理論) 多くの一流の物理学者が万物の理論の存在を確信している。ノーベル賞受賞者スティーヴン・ワインバーグはこの状態を北極の発見と比較する。19世紀の航海者は、つねに北を指しているコンパスの針が、つねに一点に向いていることを知っていた。彼らが地上のどこを航海していても、針は北極と呼ばれる架空の点の存在を指していた。しかし、人間が北極に到達したのは20世紀初めになってからである。同様に、ワインバーグは結論づける。「歴史が少しでもガイドとなるのであれば、それは究極の理論があることを示唆しているように思える」 これまでのところ、これらの無限大を取り除くことができるのは、10次元のスーパーストリング理論だけである。この理論は物理学の世界を幻惑させ、その優美な幾何学によって数学の世界をびっくり仰天させた。ワインバーグとやはりノーベル賞受賞者でクォークモデルを考え出したマレイ・ゲルマンはこの点で一致している。ゲルマンはいった。「スーパーストリング理論は、グラヴィトンを含むすべての素粒子をその相互作用とともに統一する理論の素晴らしい候補である」 アインシュタインはかつて、すべての偉大な理論は簡単な物理的描写に基づいている、と述べた。もしある理論に基礎となる物理的描写がないのであれば、それはたぶん無価値だろう。幸いなことに、スーパーストリング理論はその奇跡的な力の基礎となる優美な物理的描写をもっている。 第一に、ストリングはバイオリンの弦のように振動する。A、B、Cシャープのバイオリンの弦の音色が基本的ではない、と主張する人はいない。基本的なものがバイオリンの弦そのものであることを誰もが知っている。同様に、スーパーストリングもまた音色あるいは共鳴をもつことができる。それぞれの振動は、クォーク、電子、ニュートリノなど、私たちの身のまわりで見られる素粒子に相当している。したがって、スーパーストリングはどうして素粒子の数がこれほど多いのかを簡単に説明できる。バイオリンの弦の振動が無限でありように、これらの粒子の数も無限であるにちがいない。 もしスーパー顕微鏡があれば、点の粒子のように見える電子が実際には小さな振動する弦であるのが見えるかもしれない。弦が異なる音階で振動すると、それは粒子となる。この考え方によると、物理学の法則はスーパーストリングの調和以外の何物でもない。宇宙は振動するストリングのシンフォニーである(ある意味で、これは古代ギリシャのピタゴラス学派の夢を満たしている。ストリングの調和の法則を最初に理解したのは彼らであった。彼らは全宇宙を調和の法則によって理解できるかもしれないと推測したが、現在に至るまで、これをどうしたらなし遂げられるのか誰も知らなかった)。 第二に、スーパーストリング理論はアインシュタインの重力理論を含んでいる。ストリングが空間と時間を動くにつれて、アインシュタインが予測したようにまわりの連続体が湾曲する。したがってスーパーストリング理論は、ブラックホールや膨張する宇宙のような一般相対論のすべての予測を無理なく再現する。 ■
[PR]
by nbsakurai
| 2004-11-23 15:21
| エリア1 (科学の周辺)
|
ファン申請 |
||
外部サイトRSS追加 |
||