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2004年 09月 22日
『われ思うゆえに思考実験あり』 ― 最新科学理論がもたらす究極の知的冒険
橋元 淳一郎 (著) 早川書房 ○ 自己意識は対人関係から生まれた P87 『内なる目』の著者は、まさに、この対人関係の中からこそ、自己意識は生まれてきたというのである。 (nb注) 『内なる目』 ― 意識の進化論 科学選書 (16) ニコラス・ハンフリー (著) 垂水 雄二(訳) 紀伊国屋書店 P105 意識の発生は人間の社会生活と切り離せない。 P132 類人猿同士の社会集団の中で、仲間の心理を読み取るために、自分の脳の中を見る能力、すなわち自己意識が生まれたのだ。 P140 意識が自然選択の産物であること、そして、その選択圧は、外敵ではなく仲間同士の心理合戦から生まれたものである。 P140 人間はどんなものに対しても、自分の心を投影できるのだよ。それが、進化によって人間が得た能力だ。 P88 類人猿は、社会を作ることによって、過酷な自然環境から生きのびる道をとってきた。それも、昆虫の作る本能による社会システムではなく、後天的な学習による社会システムである。このような社会集団という進化の圧力の中で、どんな個体が生きのび、子孫を残すことができるのか。メスの歓心を買い、競争相手のオスを欺くのにたけている個体とはどんな個体か。単に腕力が強いだけではダメなのである。ポイントは、他者の何気ないしぐさや表情から、相手の心理が読み取れる能力である。あのメスはオレに気がありそうだとか、あいつはおとなしそうだが扱いを間違うと危険だとか、そういう他者の心理を読める個体が、適者生存で生き残ったのである。(行動心理学の敗北は、まさにこの点を考慮に入れなかったことにあった。) では、他者の心理を読み取るにはどうすればよいか。それが行動としてストレートに現れないとすれば、われわれは結局、他者の脳の中を見るしかないだろう。しかし、他者の脳の中など見られるはずがない。推理するしかないのである。では、どうやって他者の脳の中を推理するのか。それは、自分の脳の中を見ればよいのである! もし、自分と他者が生物学的に同じような構造を持っているとすれば、自分の脳と他者の脳は、同じようなものだろう。そこで、自分の脳の中が見えれば、他者の脳の中も推理できるということになる。 こうして、自分の脳の中を見ることができる個体が、適者生存で次第に増えて言ったのである。この自分の脳を見る能力こそが、自己意識にほかならない。 P140 自己意識は、自然選択の結果生まれたひとつの機能にしかすぎない。それは、ニコラス・ハンフリーの言葉を借りれば、内なる目、すなわち、自分の脳に向けられた一つの感覚器官なのだ。目と同じようなものだよ。だから、人工知能に目や口や鼻を付けるときに、ついでに自分の中枢神経を見る器官も付けてしまえばよいのだ。もちろん、目の機能と同じくらいに複雑精緻なものになるとは思うがね。しかし、やってできんことはないだろう。 P143 自己意識というのは、眼と同じように、進化の結果生じたひとつの感覚器官にすぎない。だから、機械にそのような機能を付加すれば、機械が自己意識をもつことは充分可能だ。 - - - - - - - - - - - ○ 意識や感情が「プロセス」だとしても、それは「情報流」ではなく「物質流」 P98 自己意識(あるいはその他の感情)を喚起するものは、単なるプログラム(ディジタル情報)ではない。それに付随するモノ(物質)が必要ということだ。つまり、人間の脳の中では、たしかにある種のプログラムが働き、それによって情報処理が行われている。しかし、脳の中に入って観察すれば、具体的に起こっていることは、シナプスの結合を通して行き交う原子や分子の激しい運動だ。ニューロンという脳細胞の中をさまざまな化学物質が、多量に激しく往来する、まさにこの物質の流れが、総体として、心というものを生み出しているのだよ。 物質(エネルギー)の流れが自己意識を生み出すということだ。だから、たとえば、炭素の代わりにシリコンを基盤とする生命体系ができたとしよう(シリコンなら機械生命にふさわしい)。もし、そのシリコン基盤生命が充分に複雑な神経系を発展させることができたとしたなら、彼らもまた自己意識をもつことができるということだ。 情報処理はたしかに重要だ。しかし、情報処理は何のためにあるのかということを忘れてはならない。モノ(物質)があっての情報なのだ。そのとき、モノの素材が何であるかは問わない。ただ、そのモノは、自己意識をもてるくらい複雑で、反応性がよく、柔軟でなければならない。 (・・・略・・・) それはコンピュータでも同じことだ。いかにプログラムを複雑にしたところで、電子の単調な流れと磁気のスイッチだけで、感情を生み出すことは不可能だとわしは思うのだ。 しかし、べつに有機物ではなくとも、有機物と同じくらい活動的で反応性に富んだ物質が生命体系を作れば、それは自己意識を持つことが可能だと思うよ。ただし、彼らの自己意識は、われわれの自己意識とはほとんど共通点のない、異質のものになるかもしれないけど。 われわれ、有機物の生命体は、基本的にトルネードのような不安定な代謝系から成り立っている。だから、つねに制御されたエネルギー代謝をおこなわなければ、死(崩壊)をまぬがれないという恐怖にさらされている。自己意識にかぎらず、われわれが持っているさまざまな感情は、この死という基本的な感情の上に立っていることを特記せねばなるまい。 - - - - - - - - - - - ○ 意識は科学では扱えない P106 そこで、意識の問題だが、私としてはふたつのことを前提条件として掲げたい。命題1、自分の自己意識以外の意識の存在を、直接的に証明することは不可能である。命題2、自己意識はこの世界に唯ひとつしか存在しない。 P109 わしにとって意識はひとしかない。つまりわしの意識だけじゃよ。よって自己意識はこの世界に唯ひとつしかない。 P110 これらの命題によってわしの言いたいことは、意識は唯一、しかも刻々変化する再現性のないものだから、科学の対象にはならないということだ。これが科学によって意識は解明できない、といった意味じゃよ。 たとえ科学が究極の法則を発見したとしても、喜怒哀楽、すなわち主観の問題が解決されないかぎりり、われわれは決して何もかもがわかったと納得はしないだろう。なぜ、私は私であって他人になれないのか、私の死とは何なのか、という問題に、科学は答えを出さない。たしかに宗教は、その種の問題を扱うが、それは理解ではなく一種諦めのように、わしには思える。宗教や科学を超えた、主観の謎を解く、新しい知の営みが登場することを期待したいもんだね。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 一番目の、自己意識は対人(対猿)関係から生まれた『内なる目』だ、っていう説明、かなり説得的ですよねぇ。原典を読んで見なくっちゃね。 これと「心の理論」や「ミラーニューロン」との関係はどうなんだろうか? 二番目の、意識や感情は、情報処理やプログラムではなく、さまざまな化学物質が多量に激しく往来する物質(エネルギー)の流れが必要だ、っていうのも、そうじゃないのかなって気がします。 コンピュータ・シミュレーションで心が作れるっていうのは、やっぱ、なんかウサンくさい。 三番目の、主観の問題は科学では扱えない、っていう結論は、私には当然のことに思えます。 ただ、それを導き出す過程には、ちょっとした違和感がなんとなく残りますが。
by nbsakurai
| 2004-09-22 14:28
| エリア6 (生物学的発想)
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