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2005年 12月 05日
『仏教思想6 空 』上 仏教思想研究会 平楽寺書店
第一章 空の意義 中村 元 P155 『中論』の主張する縁起とは「これを縁としていること」(相依性、相互依存関係)の意味であると考えられている。 ○ 縁起 → 無自性 → 空 P224 まず縁起と空との関係をみると、いつでも「縁起せるが故に空である」と説明されている。ところがこれに反して、「空なるが故に縁起している」という説明は見られない。すなわちつねに縁起が理由であり、空は帰結である。 第二に縁起と無自性の関係をみると、つねに「縁起せるが故に無自性である」と説明されている。この趣旨の説明はすこぶる多い。これに反して、「無自性なるが故に縁起している」という説明は一向見出されない。すなわち縁起が理由であり、無自性は帰結である。 第三に無自性と空との関係をみると、つねに「無自性の故に空である」と説明されている。(中略) これに反して「空なるが故に無自性である」という説明は一向見出されない。したがって無自性が理由であり、空は帰結である。 故にこれを要約すれば、縁起はつねに理由であり、空はつねに帰結である。無自性は縁起に対しては帰結であるが、空に対しては理由である。すなわち縁起という概念から無自性が必然的に導き出され、さらに無自性という概念からまた空が必然的に導き出される。「縁起→無自性→空」」という論理的基礎づけの順序は定まっていて、これを逆にすることはできない。 (中略) とにかく、第一の段階として、諸々の存在は相依って、相互限定的に成立しているのであるから、法有の立場において主張するような自体(自性)を想定することはできないということが説かれ、次いで第二の段階としてそれ自体(自性)が無いから諸の存在は空でなければならぬと言われる。この論理的基礎づけの順序は、一方的であり、可逆的ではない。 ○ 空 = 中道 P261 一言でまとめるならば、『中論』においては、中道とは非有非無の意味である、といって差支えないであろう。 この非有非無の中道は空と同義である。『中論』においては、空が縁起の意味であり、また縁起と中道とが同義であるから、さらに中道は空と同一の意味である。(中略) 要するに、空とは有無の二つの対立的見解を離れた中道の意味であるといい得る。すなわち、空と無は明瞭に区別されているから、空を無の意味に解することは、中観派の真意に適合していないと言い得るであろう。 P262 したがって空は中道と同義であり、有と無の対立を離れていることである。空と無を同一視し有と対立させるのは、ナーガルジュナの原意に適合していないと思われる。では、空は何に対するか、というならば、不空に対する概念である。空とは「縁起せる」という意味であり、不空とは「縁起せざる」すなわち「実有」の意味である。 (中略) 空は有と無の対立を超越しているにもかかわらず、不空を説く立場は分別をおこなって有と無とにとらわれていると言うことができる。前者は中道に立つ立場であるが、後者は中道を失った立場である。要するに、有と無は対立し、実有と空とはまた別の対立であるから、有と実有および無と空とはそれぞれ区別する必要があるであろう。 (中略) 以上の論述を図示をもって示すならば、 空 (= 非有非無 = 中道 = 縁起) ←→ 不空 (= 実有) 無 ←→ 有 と要約しうると思う。 P267 要するに有と無とはそれぞれ独立に存在し得ないで、たがいに他を予想して成立している概念だというのである。すなわち有と無の対立という最も根本的な対立の根底に「相互依存」「相互限定」を見出したのであった。故に非有非無とは相互依存説(相互限定説)に立って始めて言い得ることであり、無自性および空という二つの概念が縁起から導き出されるのと同様に、中道の概念もまた中観派特有の「相互限定」という意味における縁起に基礎づけられていることを知る。 追記4: 自己という幻想 ・ 量子論と「空」
by nbsakurai
| 2005-12-05 16:07
| エリア7 (「空」・「唯識」)
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