カテゴリ
全体 ★ ★ 総 括 ★ ★ ~ ~ ~ ~ ~ ~ 《 過去記事の目次 》 『科学的世界観』のBlog エリア1 (科学の周辺) エリア2 (客観Xと主観Y) エリア3 (ロボットの心) エリア4 (問題の所在) エリア5 (様々な発想) エリア6 (生物学的発想) エリア7 (「空」・「唯識」) エリア0 (Blog 総 括 ) ~ ~ ~ ~ ~ ~ ☆☆ 参 考 図 書 ☆☆ 検索
最新の記事
記事ランキング
最新のコメント
最新のトラックバック
タグ
ファン
ブログジャンル
|
2005年 12月 21日
『大乗仏教の思想』-人と思想132 副島 正光 清水書院
P174 この派(唯識派)の根本目的はなんであったのか。先行する中観派は諸法は空であるといっていた。ところで、そのような諸法はどのようにして成立しているのか。このことの解明がこの派の中心問題であった。 この派の人達は、この問題を考えるに際して、識(vijnana、分別知)のはたらきに目を向けたのである。そして、われわれが諸法(諸々の有形無形の主要な事物を概念化したもの)としているものは、結局は識の働きによって生み出したものである、とするのである。 われわれが自然界にあるものを、「木」と名づけ、さらに幹・根・葉などと部分名をつけていくのも、皆われわれの識によっている、とするのである。(中略) このように、すべての法を識の所産と考えるのが、この派の基本的な立場である。 P181 第一には、唯識(vijnapti-matra)の識(vijnapti)とは分別知(vijnana、識)によって分別されたものである。アーラヤ識は諸法が蔵せられているので、種子(しゅうじ)識であるともいう。唯識(vijnapti-matra)というときも、唯識派(vijnana-vadin)というときも、漢訳では同じ字を使い、その影響下にあった日本でも同じ字を使ってきているので、やや紛らわしい点があるが、唯識(vijnapti-matra)の場合は唯所識の意味である。一般的には言葉によって分別されたものである。本書では分かりやすくするために、伝統的な立場からはやや問題があるかもしれないが、働きとしての分別知(vijnana)を識(vijnana)と呼び、分別知によって分別されたものを所識(vijnapti)と呼ぶことにする。識・所識の語で、唯識説を説明すれば、識の働きによって、分別されるもの、即ち所識が生まれる。所識に名をつけたものが法である。 P184 マイトレーヤ、アサンガ、ヴァスバンドウと主要な唯識派の人々の考えを調べてきたが、この三人によって形成された唯識派の要点をまとめれば次のようになろう。 識(vijnana)は分別知のことであり、一切の法を生み出す。諸法は根本的には空であるが、種子(bija)という可能性の形で存在する。草木の種に比喩された種子は、換言すれば識のことである。この識もまた根本的には空であるが、諸法を生み出す種の役割をしている。この識によって生み出された法が所識(vijnapti)である。一切の法はこの所識以外のものではないとするので、唯識(vijnaptimatra)という。識も本来空であるが、一つの体と見做したとき、識体の現われ(顕現、似現)を三種に区別する。即ち、第一にアーラヤ識、第二にマナ識、第三に眼・耳・鼻・舌・身・意識の六識である。合わせてこれらの八識の働きによって一切の所識が生まれる。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ (注) 上記の()内のアルファベット表記は、正確な表現になっておりません。「n」の上に「~」がついていたり、「a」の上に「‐」がついていたり、「i」の上が「-」になっていたりします。 【 識 】 … 働きとしての分別知、分別する働き、一切の所識が生まれる、一切の法を生み出す 【 所識 】… 識の働きによって分別されるもの、分別知によって分別されたもの、識によって生み出された法 【 法 】 … 識の所産、所識に名をつけたもの、一切の法は所識以外のものではない 【 諸法 】… 識の働きによって生み出したもの、諸々の有形無形の主要な事物を概念化したもの 【 唯識 】… 唯所識の意味、言葉によって分別されたもの
by nbsakurai
| 2005-12-21 00:51
| エリア7 (「空」・「唯識」)
|
Trackback
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||